タイ王朝の誕生
歴史の町 アユタヤ
バンコクから北へ80キロに、古都アユタヤの遺跡があります。
「アユタヤ」という名称は、インドの長編叙事詩「ラーマーヤナ」物語でラーマ王子の国、インドのアヨーディヤにあやかり、アユッタヤーと名づけたのが始まりと一般に言われています。
スコータイ王朝・・・タイ国家の誕生
タイの最初の王朝は、13世紀にタイ北部(現在のスコータイ)に作られたスコータイ王朝です。
3代目王ラームカムヘーンが、「水に魚あり、田に米あり」と詠った碑文を残すほど、豊かな国だったと思われます。
この王朝は14世紀に入ると次第に衰えてきます。
そしてそれと並行するようにやや南部に建設されたのが、アユタヤ国家(ムアング・・・都市をさす)です。
そしてスコータイ王朝は、アユタヤ王朝の属国になり、アユタヤ王朝は現在のタイ国土の基幹を形成したのです。
アユタヤ王朝の誕生
古都アユタヤは、チャオプラヤー川そその支流に囲まれ、国際的な貿易港として栄えました。
カンボジアのクメール王国(アンコール王朝)を衰退に追いやったのがこのアユタヤ王朝です。
日本の山田長政が活躍したのは、このアユタヤです。
16世紀にビルマ(現在のミャンマー)の侵略によって滅ぼされました。
その後、タイでは、18世紀のトンブリー王朝、チャクリー王朝が続きますが、19世紀、イギリスと友好通商条約(ボーリング条約)を結び、植民地化の危機のなかで独立を維持してきたのです。
アユタヤ王朝はビルマ軍の侵入で廃墟と化しましたが、その広大な遺跡は、かつてのアユタヤ王朝の隆盛を忍ばせます。
バンコクから北へ80キロに、古都アユタヤの遺跡があります。
「アユタヤ」という名称は、インドの長編叙事詩「ラーマーヤナ」物語でラーマ王子の国、インドのアヨーディヤにあやかり、アユッタヤーと名づけたのが始まりと一般に言われています。
スコータイ王朝・・・タイ国家の誕生
タイの最初の王朝は、13世紀にタイ北部(現在のスコータイ)に作られたスコータイ王朝です。
3代目王ラームカムヘーンが、「水に魚あり、田に米あり」と詠った碑文を残すほど、豊かな国だったと思われます。
この王朝は14世紀に入ると次第に衰えてきます。
そしてそれと並行するようにやや南部に建設されたのが、アユタヤ国家(ムアング・・・都市をさす)です。
そしてスコータイ王朝は、アユタヤ王朝の属国になり、アユタヤ王朝は現在のタイ国土の基幹を形成したのです。
アユタヤ王朝の誕生
古都アユタヤは、チャオプラヤー川そその支流に囲まれ、国際的な貿易港として栄えました。
カンボジアのクメール王国(アンコール王朝)を衰退に追いやったのがこのアユタヤ王朝です。
日本の山田長政が活躍したのは、このアユタヤです。
16世紀にビルマ(現在のミャンマー)の侵略によって滅ぼされました。
その後、タイでは、18世紀のトンブリー王朝、チャクリー王朝が続きますが、19世紀、イギリスと友好通商条約(ボーリング条約)を結び、植民地化の危機のなかで独立を維持してきたのです。
アユタヤ王朝はビルマ軍の侵入で廃墟と化しましたが、その広大な遺跡は、かつてのアユタヤ王朝の隆盛を忍ばせます。
Posted by AsiaNeed
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